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第13回とくしまカラーフリー文化祭 参加作品
「Qusetion-ing」

問うこと/語ること/沈黙すること

語ることも、語らせることも、等しくどこかで暴力的で、
それでもなお、自分の言葉で生きていくこと、
その人の言葉に耳を済ませようとすること。
  

あなたとわたしの間にある、
不信と期待と、失望と希望と、恐怖と、なにかしらの願いとか、
だけどそれを踏み越えようとする勇気とか。
 

テキスト
根本みを・片桐亜希

出演
片桐亜希 根本みを 中西彩華

2026 年3 月15 日(日)
13:00~16:30(開場12:30)

https://www.pref.tokushima.lg.jp/ippannokata/kurashi/jinken/7301133/

場所:パーク テレコメディア(旧ときわプラザ)
(アスティとくしま内2 階)
徳島県徳島市山城町東浜傍示1-1
*定員142 名
*託児(無料)要予約 ※1 歳から就学前までのお子様
(パーク テレコメディアこども室  Tel.088-655-4638)

上演によせて

 これまで学術分野での専門用語だった「言語化」と言う単語が、いつのまにか日常語となっていて、昨今、ものごとを「言語化」して説明したり共有したりすることは社会を生きる上での必須スキルのように扱われる風潮があります。

「言葉にしないと伝わらない」「話し合いが足りない」など、ビジネスやオフィシャルな場のみならず、ごくプライベートな子育てや友人、恋人関係の場においても、スマートな「言語化」が唯一上位の正解であるような語り口を見かけることが多くあります。

でも、ほんとうにそうでしょうか?
もちろん、言葉にしてもらうことで、相互理解の手がかりが掴めることを否定するつもりはありません。ですが、言葉にすることができれば上手くいく、というほど、言葉は単純なものではなく、「言語化」というものは、すべての問題を解決する魔法なんかではない。
それはよほど慎重に使わなければ、相手にも自分自身にもダメージを与えかねないものですし、時には自分が語った言葉が呪いのように自分自身を縛ることもあれば、違和感を封じるためのごまかしのようになってしまうこともあります。たとえば一見、その場では解決が果たされたように見えても、実際はよけいに物事を拗らせてしまっていたり、ただ口先のテクニックで一方が力を振りかざしてやり込めているだけ、ということだって多いのではないでしょうか。
「言葉にする」ということはとてつもなく大きな力を持っていて、だからこそ、それを扱うのはとても難しい。 それを介して、他者と何か、関係を生み出していくのはまた、更に難しい。
また、「語る」ということは、そのために「何かを定義する」ことでもあります。ですが、自分を定義することも、他者を定義することも、簡単にできるはずのことではなく、そもそも、それは定義しうるのだろうか? というところからスタートしなければならないように思います。
そして、もしもそれが可能だったとして、それはきっと、何も固定的ではない、暫定的なその時の仮の結論、とでも言うものではないでしょうか。
わたしもあなたも常に揺れ動いていて、それを語る言葉もまた、けして確かなものなどではなく、常に揺れ動いている。
その難しさは、面白さでもあり、豊かさでもあり、可能性でもあります。

 「わかる/わからない」「つたわる/つたわらない」「語る/語らない」
そんな二項対立ではなく、その間にある絶え間ないもの。

 ――そんなことを、一緒に考えていただく時間になれば幸いです。

主催・お問い合わせ先
SAG 徳島 鳴門教育大学 葛西研究室内 ℡(088)687-6280 Mail:sag.tokushima@gmail.com

あいぽーと徳島 徳島県立人権教育啓発推進センター
ときわプラザ 徳島県立男女共同参画交流センター
徳島県教育委員会